ネットの言論の質が低いって本気で言ってんのか?

言論とは?

げんろん 【言論】
言葉によって意見や思想を公表すること。話したり書いたりした意見。

んで、

新聞に比べるとネット言論の質は低い。もはや一部の新聞社幹部や研究者ぐらいしか言いそうもないことをあえて指摘してみたい。ブログやSNSに代表されるソーシャルメディアの登場によって誰もが情報を発信できるようになり、ネット上のコンテンツは膨大になった。だが、その質はネットユーザーが批判する既存メディアにとうてい及ばない現実もある。メディアを持つことで満足するフェーズはそろそろ終わりにして、質を上げる取り組みについて議論すべきではないか。

へぇ、新聞の言論の質って高いんだ。

言論の質の高さを決めるのって誰?

言論の質の高さを決めるのは新聞記者や新聞の読者だけじゃない。世界中の情報の受信者全員がそれぞれ勝手に決めることだ。自分にとって質の高い言論と、誰かにとって質の高い言論は必ずしも一致しない。

言論の質を構成する要素って何?

出される情報と意見の中身。そして、見ず知らずの他人を説得できるだけの材料とその伝え方。

言論の質が高いってどういうこと?

質が高い言論とは、自分がより大きな影響を受けた言論のこと。また、Google的な視点で考える「質が高い言論」とは、より多くの人に影響を与えた言論のこと。

たとえ5歳児が書いたような拙い文章でも、誰かに大きな影響を与えたのであればそれは『その受け手にとって質が高い言論だった』と言って構わない。良きにつけ、悪しきにつけ。

「でもネット上には誰にも何も影響を与えないものが多いのは事実じゃないか!」って、そりゃ当たり前でしょ。ネットの上に流れるのは言論だけじゃなくて、あらゆる情報全体なんだから。単なる感想とか愚痴とか今何してるとか、そういう個々人の中にある『ある意味純粋な情報』が飛び交ってるんだから。

仮に「言論だけしか流せないネット」があったとして、それって面白いか?私はつまらんと思う。言論だけしか載せないメディアがあるのは構わない。ネット上ではメディアの数にも制限なんかないんだからな。どんどんやればいい。

もし論理的に間違った言論や、自分が知る事実と異なった情報に基づいた言論が流布していたとしても、「それは間違っているよ」と突っ込む人がいれば問題はない。またそういう“反論”を排除しない(受け入れたり提示したり冷静に検証したりする)世界と文化があればよいだけだ。それが健全な言論の姿だと思う。

結論

  • 私は、一般的なネットの言論の質が高いとは思わないが、低いとも思わない。受け手次第で高くも低くもなるものだから。
  • 全員参加可能だからこそ得られる多様性こそネットの言論の命。
  • そして、量はいつしか質に転換する。

極端に言えば、地球上の全生命体が、自由かつ思った通りに情報を入出力できる世界が来ればそれでいい。質の高さは受信者個々が勝手に決めるから。また、質の高い言論を追求する人たちは、Google(またはSocial Bookmark)的な価値観によって、より質の高い言論を出せるように鍛えられていくことだろう*1

ネット上では質の高い言論に到達できないとお悩みの方は、ネットをもうちょい好きになってみることをおすすめする。ついでに自分の言論を発信してみる(1年間くらいほぼ毎日続けてみる)こともおすすめする。実際に始めるのはかなり障壁があると思うけど、やったら判る。判ったら変わる。

「限られた人間しか発信できない世界」とか「新聞的な手法でしか質の高い言論が出てこないという間違った幻想」とか「誰かが決めた質の高い言論しか存在を許さない組織」なんかくそくらえでございますのよオホホホ。

*1:Google的な技術が失われたら、そんな悠長なことも言ってられないんだろうけどなあ