自分を変えることは難しいのだろうか?

結論から言うと、私は簡単だと思っている。

現実とは自分が認識したもので構成される。
もう少し言えば、自分が認識できないものはこの世に(自分が見る現実世界に)存在しないということになる。
つまり「現実=認識」である。
ならば、認識が変わるだけで現実も変わるのである。
そして、認識を変えるために必要なものは気付きだけであり、コスト的には「筋肉をつける」よりも「自分を変える」方が圧倒的に簡単かつ瞬間的に可能である……………はずなんだけどなあ。

自分を変えるのは何故難しいのか?

どんなに自分嫌いな人でも自分を変えようとはしない。
自分の人生のスタイルを、価値観を固持しようとする。
それでいて苦しむ。
苦しみ続けるぐらいなら変えりゃいいのにって思うのだが、どうやら世間一般では「自分を変えるのは難しいこと」と信じられているらしい。

そうなる理由はいくつかあるが大別すると、

  • 変えたいのに変えられない
  • 変えたくない

この2種類に分かれる。

そして私は、ほぼ全員が後者に属すると考えている。
「変えたいのに○○のせいで変えられない」というのは、自分を変えないことを自身に、おまけに周囲に納得させるためにする言い訳に過ぎない。
なぜなら(少々乱暴だが)現実=認識なので、自分を変えることもほぼノーコストで(気付きさえあれば)実現可能だからである。

さて、そのように自分を騙してでも変えたがらない理由は何だろうか?
生物学的な仮説としては、今まで生き残って来た人生のスタイルを変えるとリスクが増すから人間は本能的に自分を変えるということを拒否するようにできているのだ、というものがある。
この仮説、個人的には納得できる。
人から何か言われる度にコロコロ生き方を変えていたのでは、悪知恵の働く資本家や経営者にいいように搾取されるので、同じ傾向を持った子孫が繁栄する可能性は低いだろう。

というわけで、人は自分が経験的に積み上げてきた人生のスタイルを、本能的に変えたくないらしい。
変えたくないものを変えてみようと考える変人はいない。
よって、自分を変えることはできないか、または難しいという話になる。

まとめると

自分を変えるのは論理的には簡単だが、本能に反することなので難しい。と解釈する。

そりゃそうだよね。たとえ室内でできる低温花火だって知ってても、飛び散る火の粉に手を突っ込むのは勇気がいる。
それを「簡単だ」と言って、さあお前も変われ今変われすぐ変われって言うのは、普通の人から見たら狂気の沙汰にしか映らないだろう。
反省したい。