桃をおいしく食べる方法と、失われるおばあちゃんの知恵袋
桃は買ってきたら室温に放置。食べる直前に1〜2時間だけ冷やす。
これを守るだけでかなり…いま食ってますが…うまいです。もも…うま…
おばあちゃんの知恵袋的な知識が自分の中に増えない理由
その手の豆知識なんて、ネット上でもたくさん共有されてると思う。
でも自分の目に触れることはほとんど無い。何故だ?って考えてみたら、答えは簡単だった。検索するタイミングが無いからだ。
ネットは自発的な行動(検索とか発信とか)を必要とする情報媒体
桃を買う前に保存方法や食べ方をネットで検索するか?というと、その可能性はゼロではないが極めて低い。ついでに、桃を食べるという現実の具体的なアクションは、ネットの上を流れる情報とは一切リンクしていない。
さらに、目の前にリアルに存在するオブジェクト全てについて、おばあちゃんの知恵袋的な知識を調べまくるのか?という問題もある。机の周りを見渡すだけでもゆうに100〜1000くらいの物体があるわけで、おそらくそれら全部についての「おばあちゃんの知恵袋」を検索し、記憶するのはほとんど無理であろう。
おばあちゃんと一緒に暮らしてたら解決するのにね
たくさん買ってきた桃を、全部冷蔵庫に入れようとしたら、リアルなおばあちゃんに怒られるわけだ。
「そったらことすんでねえ!桃さんがおいしくなくなっぺや!」
と。そこで体験として学ぶタイミングができる。これがおそらく、なんらかの豆知識に『おばあちゃんの』と冠される理由である。昔ながらの大家族では、おばあちゃんから学ぶタイミングが結構たくさんあったはずなのだ。
何がいいたいかというと
- おばあちゃんを大切にね
- ネットにあるおばあちゃんの知恵袋って利用するタイミングが難しいよ
- リアルな体験とネットの情報の連携って、まだまだ未完成なのだよね
以上の三つについて語りたかった。
情報を整理する技術やサービス(Google的なもの)、情報を流すインフラは整ってきたので、次に進化する場所はおそらく情報と人間の接点=デバイス(それもサービスと連携する形のまったく新しいデバイス)じゃないかなと思う。*1
それはもしかしたら電脳メガネみたいなデバイスと、メガネの中で動く仮想おばあちゃんエージェントと、ネット上の知識共有サービスのセットになるかもしれない。自分が桃を冷蔵庫に入れようとしたら、そっと「食べる直前に1時間くらい冷やした方が美味しいで」と囁いて教えてくれる。そんなやつ。
あー気味が悪いですか。うん、流行らないかもね。大体「その情報信用できんのかよ?」ってことになるし。情報ソースをネット全体に任意で拡張できて、さらにある程度対話ができるエージェントだったら面白いかもしれない。
とにかく、リアルな体験とネットの情報をなんというか…パッシブに繋ぐ?違う?自動的に繋ぐ?まいいや、とにかくそういう世界には、もうちょい先があるのだろうなあと思っている。
体験と情報を繋ぐとか、体験に情報を重ねるという方向で。