肉体のあっち側とこっち側
クルーザー持ってる人はTwitterやらない。
2012-07-03 19:21:04 via web
うーむ、この話って例外は無数にあると思うけれど、しかし何かこう…漠然とだけど本質的な指摘が含まれているように感じる。なので少し考えてみる。
簡単にまとめると『ネットの快楽 vs 物質世界の快楽』という話だ。
ネットが私にもたらしたもの
それを端的に表現すれば「手軽な快楽」になるだろう。
手軽とは一体どういうことか?
- 安い
- いつでもどこでもアクセスできる
- 短時間で手に入る
つまり「安・近・短」である。
ちょっとお金を払えば、ちょっと携帯を取り出せば、ちょっとWebにアクセスすれば、そこには様々な快楽がある。情報的な快楽*1とか、物質を購入する快楽*2とか、人とコミュニケーションを取る快楽*3とか、物を作る快楽*4などなど。
そういうお手軽な快楽によって、私は幸せになったと思う。
いや、ネットで得た大切な友人たちのことを「手軽な快楽」と言っているわけではないぞ!あくまでも、ネットで完結するものごとの話ね。そこんとこ誤解しないでね。
閑話休題。今までは「お金持ちにならないと幸せな体験ができないぞ!」と脅されるように生きてきた昭和の貧乏人(私)たちが、インターネットにアクセスすることで、自分が「これだ!」と思える、欲しかった情報や仲間や満足を手にできるようになったのだ。
インターネットの成立と普及は、私にとっては革命的な出来事だった。
もうマスコミが提示する「幸せのテンプレート」に乗っからなくてもいいんだ、と信じられた。昭和のステレオタイプな成功者の幻影から解放され、でっかいテレビを買う意味も、車を買う意味もなくなった。
そんなありきたりなものじゃない、自分が欲しかったもの、自分だけの体験をネットを通して手に入れたのだ。
ネットでは得られないもの
五感をフル活用した体験は得られない。*5
それが欲しかったら物質世界に出ていく必要がある。どっかに遊びに行ったり、買い物に行ったり、食べに行ったり、見に行ったり。どんなものでもいいが、とにかく現場に足を運ぶ必要があるのだ。
具体的にはライブとかコミケとかサッカー観戦とかイメージすると分かりやすいだろうか。アウトドア派なら山登りとか、海岸でバーベキューとか、ラフティングとか。インドア派なら美術館巡りとか陶芸とかカード人狼とか*6。お金持ちの世界になれば、冒頭のtweetにもあるように、自分の船でクルージングとかね。
で、そういう体験は、
- 物事にもよるが、大抵お金がかかる
- その現場にいないと体感できない
- なにかと時間がかかる
安・近・短の真逆である。「高・遠・長」なんである。
そして、そういう「高・遠・長」体験の価値は、インターネットの「安・近・短」な体験が多様化していくのに従って、今後も益々高まっていくと思っている。人は伝聞情報が増えれば増えるほど、実際にそれを体験してみたくなるものだからね。
強引なまとめ
昔、「ネットはバカと暇人のもの」という言説があった。
それは外れてないと思う。
ただし、それが決して悪いことではないよ、世界中に(主に「安・近・短」な)幸せの総量は増えているから、たぶん世界平和にも貢献してると思うよ、というのが私の持論だ(その裏側で、ネットがあったが故に余計な苦しみや悲しみを感じている人もいるわけだが…ごめんな)。
だから、ロングテールの端っこの、すんごい長く伸びてる尻尾の方で、貧乏人(私)たちが手軽な快楽を得ていることぐらい大目に見てやって欲しい。「ネットはバカと暇人のもの」と、どんなに蔑んでも構わないから、そこを奪おうとするのだけは止めてくれ、世のお金持ちたちよ。
ええと、何の話だったか…そうクルーザーだったな。
「クルーザーを持ってる人はTwitterやらない」
私は今後ともそのようなネットであって欲しいと思います。