この世を生きる価値って肉体にあるんじゃないのかな
私は基本的に暇なんで、情報世界にどっぷり浸かってる(パソコンまたはiPhoneの画面を通してネットに繋がっている)時間が長いのだが、そんな生活を続けていると、なんかもうだんだん、
「私にとって重要なのって脳だけだよなー」
って感じになってくる。
具体的にどうなるか
食事もトイレもめんどくさいのでできるだけ我慢するようになる。寝るのは嫌いじゃないけど、超眠たくなるまでは夜になっても朝になっても寝ない、寝る意味が判らない。風呂もめんどくさいけど、臭いまま外に出るのは嫌なので、出かける前にシャワーを浴びる。そんな風になる。
まとめると、
- あーもう、体ってめんどくせえ!
ってなる。
脳だけで生きたくなるのだ。
人間なんてしょせん情報生物でしょ!五感から脳が情報を得てるだけだし、体を制御してるのも脳じゃんね!だったら重要なのは脳=情報処理機構だよな!な!っていう意識が強くなってくる。
でもそれって違うんじゃないのかな
仮に「魂」みたいなもんが存在したとして。
自分がこの世に生きてる間にだけできることって何かなー?って考えると、その一つは『この肉体を通して周囲の情報を得ること、感じること』なんだよね*1。痛いとか、熱いとか、冷たいとか、重いとか、つるつるしてるとか、青いとか、甘いとか、うるさいとか、気持ち良いとか、それらに付随する感情の沸き起こり(情報処理)には肉体の存在がかなり重要だと思う。
こうフワフワとした魂的な存在だとか、または情報のみの存在では、物に触れてその感触を得るということができない。いや、できるのかもしれないけど、魂的な存在がこの世の物質に影響を与えるのはかなり難しいはず*2。
ということは、(わざわざ魂の存在なんか仮定しなくても自明かと思うが)我々人間は、この体を通してのみ物質世界と繋がることができるわけだ。いわば情報・物質インターフェース、それが肉体である。脳(情報)は肉体を通して物質に影響を与えるし、物質は肉体を通して脳(情報)に影響を与える。
つまり『受肉』とでもいうか、情報処理機構である脳にとっても、肉体(=情報・物質インターフェース)に載っているということ自体が生きる価値であり、成長の糧であると言えるのではないだろうか。
肉体の声を聞け!
現代を生きる人間たちは、もうちょっと肉体の声に正直というか、敏感になっても良いのではないか。
それは単に、やりたいことを素直にやる!っていうだけの話じゃなくて、もっとこう自分の肉体が本当に欲しているものは何なのか?それに耳を傾けるということ。そういうものを感じ取れる人間になるってこと。それは脳の成長にとっても、また個体の生存競争にとってもかなり有用なのではないかと私は思う。
あなたもせっかく肉体に載ってる*3んだから、もっと肉体の声に耳を澄ましてみよう!
余談2:肉をまとっているって書くと
ほんと、腰周りとか「肉をまとっている」って感じだよね(運動したい)。