うすらバカの定義をゲンミツに行うとどうなるか
病気のガンを撲滅するためには、ガンを作る研究をするじゃないですか。あれと一緒で、自分自身がうすらバカにならないためには、まずうすらバカが何なのかを知る必要があるだろう。
はてなにはバカが一番多い。これは確かなことで、誰にも否定しようがないだろう。次に、少数ながら頭の良い人もいる。これは時々本当に感心させられる。強いインスパイアを受ける。そして割合としては一番少ないのだが、一握りのうすらバカがいる。これにはうんざりさせられる。彼らは徹頭徹尾役立たずで、存在価値はプラスでもマイナスでもなくぴったりゼロである。毒にも薬にもならないとはこのことで、煮ても焼いても食えないから本当に始末が悪い。
「徹頭徹尾役立たず」「存在価値はプラスでもマイナスでもなくぴったりゼロ」「毒にも薬にもならない」というのが、うすらバカの鍵のようだ。
たとえば、ある人物Aさんが何らかの情報Bを発信したとする。
↓
その情報Bを自分が受け取る。
↓
受信前と受信後で、自分の脳内に何も変化が起こらなかった場合、
- 自分から見て、Aさんはうすらバカ
に該当する。
この定義はとても強力なブーメラン構造になっていることに注意しよう。情報Bから何も読み取れなかった原因が自分の側にある*1可能性を否定できないからだ。
で、もし自分側の問題だったとすれば、
- Aさんから見て、自分はうすらバカ
ということになる。
客観的なうすらバカ判定は可能なのか
上記の例の通り、うすらバカ判定とは極めて主観的なもの。
なので、私にとってのうすらバカは、あなたにとってのうすらバカとは異なる。私とあなたが互いにうすらバカ認定し合うようなことも起こり得る。絶対的なうすらバカは存在しないし、また観測者無しにうすらバカが成立することもない。
だが、もし多数の人から「お前はうすらバカ」と認定された人物Cさんが居たとすると、Cさんは世界の多くの人にほとんど影響を与えない存在ということが言えてしまうのかもしれない。…それはちょっと恐ろしいことだ。
「Cさんの言ってることが理解できない」といった場合、その原因は観測者とCさんの互いの齟齬にあるのであって、どちらか片方に原因があるわけではないケースが多いはず(奇麗事だけどな)。そこを多数決でどっちがうすらバカなのか?を決めるというのは、社会的な暴力なんだろうなと思ったりする。
ということは
- うすらバカ認定に群集の叡智を使っちゃ駄目!危険!
ってことですかね。そんなの、あくまで主観でやればいいんですよ。どう出たところで結局ブーメランだし、絶対的な基準なんてどこにもないんだから。
ついでに言うと、その主観的な判定に対して他人がツッコムというのは、『蓼食う虫も好き好き』を否定するのと同じくらい意味のないことなんだと・・・思うよぉ!(By 秋山森乃進)。
*1:能力不足、前提知識不足、思考と感情の分離レベルの低さ、その他