自分を表現することと、誰かに何かを伝えることは別物

時々、自己表現が誰にも伝わらなくて苦しんでる人を見かける。

自分を表現したいだけの人は

自分のアウトプットが誰かに伝わるかどうか、認められるかどうか、売れるかどうか、そんなこたぁ気にしちゃいけねえ。

なぜなら、アウトプットされた物をどう認識するか、どう価値を見出すかは完全に受け手側の自由だからだ。極端な話、時代が変われば社会も変わって評価も変わるのだ。なので、自分の感性をひたすら限界まで研ぎ澄まし、「こうだ!」と思う通りにアウトプットすればよろしい。それが純粋な自分の表現になる*1

で、そんな風にして生まれたものが、たまたま誰かに伝わったり認められたりすれば、こんなにラッキーでハッピーなことは無い。

逆に、誰かに伝えたい!認められたい!売れたい!と願う人は

頭を使って自分のアウトプットを変えなければならない*2

周りの人、特に自分が認められたい人や伝えたい人をよーく観察して、何に喜び、何を悲しみ、何を好み、何を嫌うのか、何に心を揺さぶられているのかを全身で十二分に吸収する。そのインプットによって変容した自分の血肉と感性を使って、妥協のない自己表現を、自分が「これだ!」と思うものをアウトプットしてみる。

そのアウトプットが受け手の感情を揺さぶったときに、初めて何かが伝わる、認められる、価値を見出される。

そんな風に思う。

まとめ

伝達や説得における一つの鍵は、相手の感性や感情を解する技術にある。

*1:純粋な自己表現ってかなり難しい。客的な存在が居た方がアウトプットし易いが、それは自己表現とは少し違ってきちゃう。

*2:今、認められてないとか、売れてないという場合の話