ネットは阿呆を量産したが既存メディアはどうなんだ?
あああああ、なんかだんだん腹がたってきた。
いやエントリとは関係がないことで腹がたっているのだが。なんというか…人間の原動力の一つは確実に「怒り」であって、自分にはその「怒り」の要素が決定的に欠落していたことがよく判った。怒りというのは他者からの燃料の供給を必要としない、純粋に自発的な爆発であって、それはあたかも核融合エンジンが自己点火条件を満たs…
そんな自分語りはどうでもよかった。
「インターネットは個人発信の面白そうなブログにあふれている。 皆さん、ウエブ上の市民ジャーナリズムを無条件に持ち上げている。俺は違うね。俺に言わせれば、インターネットジャーナリズムの普及が推進しているのは多様化なんかじゃない。一般的な常識や社会観点の欠落したアホの量産だ。一日中コンピュータの前に座って、世界で何が起こっているのかを知ろうともせず、自分の知りたい情報のみにアクセスし、単語も満足につづれず、地図を見てもシカゴの位置を指し示せない能無しが大量に社会に出てきている。さらにまずいのは、やつらの多くが自分がアホである事に気づいていない事だ。オタクな知識がやたらとあるばかりに、自分は結構知的だと思っていたりする。こういう社会はどうなっていくのか? もうすぐ分かるだろう。まあ、ろくな事にはならないと思っているよ。」(FOXニュースインタビュー John C. Dvorak)
John C. Dvorakさんに同意。ネットは阿呆を量産したと思うよ。自分も阿呆の一人だし。でもな…私はこう考えている。
- ネットはただの阿呆を量産しただけではなかった
情報の取捨選択を自分の判断で行う人間を作ったのだ、と。
既存メディアも阿呆を量産し続けている
たぶん過半数の人達はテレビから流れてくる情報を疑わない。
TVのディスプレイから垂れ流された映像や音声を、まるっと信じ込む。そのため、昔の事例でいえば『あるある大辞典』のような「テレビの嘘情報を信じちゃった人達が大騒ぎ!」という事件も起こる。
テレビ、新聞、ラジオなど、ネット以外の既存メディアに依存している人達は、
- メディアに情報の真贋判定を委ねている
それは阿呆になる道のひとつだろう。ネットなんか登場しなくても、古いメディアは昔っから、与えられた情報を鵜呑みにする阿呆たちを量産し続けている…と言えるのではないか?
# どうでもいいけど、食事中にテレビ見てると会話止まるよね。
# ひたすら受信するだけで、何も考えなくなっていく。
阿呆にも種類があるようだ
- 自分が好む世界に閉じこもる阿呆(ネット中毒)
- 情報を鵜呑みにする阿呆(既存メディア中毒)
- その他の阿呆
既存メディアが正しく機能している限り*1は、情報を鵜呑みにする阿呆の方が社会的に「大人」な存在になるのは確実である。
しかし逆に、既存メディアが歪み始めたときに正しい判断*2をくだせる可能性があるのは、情報を鵜呑みにする阿呆ではなく、情報を疑うことにある程度慣れたネット中毒者の方かもしれない。その人数は多ければ多いほど危機に抗う力になる。