自分探しと自分試しの違い

もう二年くらい昔のこと。ある知人から言われたことが、未だに記憶に残っている。

知人「どうして会社をやめるの?」

自分「自分にしかできないことを探してみたくなったから」

知人「それを考え始めちゃったら終わりでしょう」

以降、その知人は“呆れ”と“侮蔑”と“怒り”がないまぜになった口調で、私の考えがいかに甘ちゃんであるか、そして自分にしかできないことなんて現実には存在しないのだということを、とうとうと語りはじめた。私は何も言い返せなかった。彼が語っていることもたぶん間違ってなかったから。*1

なんか悔しかった。でも感謝もした。自分にはありがたいまともな意見だった。

自分にしかできないことって無いのかな?

私はあると思ってる(中二病か)。

自分にしかできないことをやれてる人ってのは少ないかもしれない。世界中を見渡したって、ほんの一握りにすぎないかもしれない。でも一握りでも確かに居るじゃないか。じゃあ自分もそういうことをやろう。交換不可能なものになろう。

と思いつつ、早一年。

鼻毛を抜きながらボーっとしてただけで何もしなかった。ある意味すごく贅沢な時間だった(阿呆すぎる…)。

自分にしかできないことはある!けど見つかってないだけだ!

というのは、違うけど同じことです。

なにもやらない人は、2000%交換可能です。

だから探すんじゃなくてやりなさい。自分。

*1:おまけに、一般的に考えておっさんが言うことじゃないし。いい歳こいて恥ずかしげも無く「自分探しに行く」って…大丈夫か?って思う。サイババに会いに行くとか言い出してもおかしくないレベルの危なさがある。自分も人から「自分探しに行く」なんて言われたら、知人と同じ反応をしてたかもしれない。