肯定しか無いコミュニケーションは、否定や提案の許される環境で是非

私は、肯定しか無いコミュニケーション(=はてなスター)には、何か前向きな可能性があると思っています。

スターが付けられると素直に嬉しい。逆に、スターがつかなくても気に病んだりしない。このように『プラスの伝達をしつつも、マイナスの影響がほとんど無い』というのが、肯定しか無いコミュニケーションのひとつの特徴です。

これがもし「スターがつかない」の代わりに「罵倒コメントがつく」だったら、ものすごく気に病む。というかもう禿げる。精神的に弱い人ならば、風呂場でリアルに「あーこりゃ抜け毛増えたなー」と実感することになる。そして抜け毛の本当の恐ろしさは数年後に襲ってくる。精神的ダメージは、毛根に後遺症と呼んでも過言ではないダメージを残s(何言ってんだ

とにかく、肯定しか無いコミュニケーションには可能性がある、と。

じゃあ肯定しか許されないコミュニティがあれば最高なのか?

それは逆に最低なものになりそう。

「否定したくてもうちのコミュニティ内じゃできないし…外でやる?」

なんてのはイマイチだ。

どうせなら堂々とやれよ、と思う。その否定(や提案)から何かの「気付き」を得られる可能性は十分にあるのだから。否定(や提案)は決して無意味ではないし、マイナスの効果だけでもない。

というわけで、肯定も否定もどちらも混在できる環境のなかで、各人が「肯定だけを伝える」という選択をするからこそ、はてなスターには魅力がある。つまり、はてなブックマークをはじめ、コメント、トラックバック、トラバしなくても言及、その他もろもろの『もっと伝えたいことがあれば何でも自由に言える環境』があってこそ、はてなスターはその輝きをいっそう増すのだ。

「否定もできるけど、せっかく伝えるなら肯定の方がいいかな」

これにしびれる。あこがれる。

まとめ

肯定のみのコミュニケーションには魅力があるが、否定(や提案)の意見を封殺してしまったら、肯定コミュニケーションの魅力まで殺してしまうことになるのだと思う。

はてな内のサービスのみならず、Web上に存在する、ありとあらゆるサービスの頭上に『はてなスター』という層がある。それは肯定だけを媒介する星空だ。今日もまた幾千の星が、人々の上に降り積もる。愛と共に。(阿呆ポエム)