アウトプットが無いのは何もしてないのと同じ
耳が痛いです。2007年の私はアウトプットがほとんど無かったので。
ただ、アウトプットしない(できない)人がほんの一瞬だけ考えた人と同じであると思える書き方になってるのは少し悲しい。
確かにそれは悲しい。しかし自分が『サトラレ』でも無い限り、どうしてもアウトプットは必要になると思う。たとえばここに、
- 何も考えてない人
- ちょっと考えた人
- ものすごく考えた人
の3人がいたとする。どの人からもアウトプットが無い場合、誰がどれに該当するか見分けることはできるだろうか?ってーと「うん、それ無理」。2007年の地球の科学レベルでは不可能なんだと思う。
そうは言っても手はあるよね
アウトプットさせてみれば良い、という話はある。
こちらから質問をぶつけて、その回答を見ることによって、どれくらい考えてきたのか判る可能性はある。沈黙する相手からアウトプットを引き出せばいいのだ。
言及先の言及先である森さんも「では、まとまらないものを見せて下さい」という質問を投げている。けど…
沈黙する相手からアウトプットを引き出す条件
- 相手との関係が対等であること
- 相手と同じ方向を見ていること
- 半端なアウトプットでも、無いよりマシであるという合意があること
この3つが開かない扉を解き放つ鍵になると思う。
もちろん仕事であるとか、期限を過ぎてるとか、そういう状況であれば問答無用で「出せ」でいいと思います。あの娘を解き放つ鍵とかRPGみたいなこと言ってる場合じゃないです。現実をミロ。
逆に、自分がアウトプットする側だったら
恥ずかしがって沈黙してないで、とっとと出しましょう。
ぐちゃぐちゃな物でいいんです。というか、その方が好都合です。できるだけ早い段階で、こっぴどく駄目な物を見せちゃえば、相手の期待値は激減するでしょ?その方が後々ラッキーです。
最低だね
と言われたら心の中で喜びましょう。あとは改善していくだけで上がる一方だよ。
結論
- アウトプットが無いのは何もしてないのと同じである
だからこそホイホイとアウトプットしていきましょう。そして世のおじさんたちへ。部下がどんなにショボいアウトプットをしてきても、先ずは歓迎してやってください。次に改善点を一緒に考えてやってください。「半端なアウトプットでも、無いよりマシである」という合意は宝だと思います。(もちろん、改善されない半端なアウトプットでは意味が無いですが。)