固定観念撲滅のためのその1とか

生の焼きそばを冷凍庫に入れちゃってたんすよ…。もうカチコチになってますわ…。

経緯

今日の夕方、冷凍食品“2つ”と生の焼きそば、その他もろもろの食材を大量に買ってきた。明日は雨という天気予報だったので、自宅から一歩も出なくて済むようにしてやろうという目論見である。

で、帰宅してから“3つ”の冷凍食品を冷凍庫に放り込んだ。3つあることに何の疑問ももたなかった。袋の見た目(素材や絵柄)、大きさ、手触り、冷たさなどが似ていたので、生の焼きそばまで冷凍食品だとあっさり誤認したらしい。

こういう事件がある度に、ああこれはイカンと思うわけです。オッサン化がどんどん進行してると。生き方を変えねばダメだと。

固定観念について

大人になるにつれ、固定観念が強烈になるのを実感している。

それは経験を利用して、できるだけ早い時間で物事を判断しようとする試み。つまり生物が生き残る術なのだと思う。だからオッサンオバハンになるにつれて固定観念が強烈になっていくのは自然なことかもしれぬ。悪いことではないのかもしれぬ。だが…

固定観念と直観は似てるけど違う

どちらも判断時間を短縮するという意味では一緒だが。

固定観念とは各種の情報を無視することで「決め付け」により強引に判断時間を短縮すること。結果的にそれがうまくはまることもあれば、焼きそばを冷凍食品だと誤認したり、五円玉を五十円玉と誤認したりもする。

一方、直観とは職人技のこと。有意な入力パラメタの規定と相関の発見や重み付けを(主に経験によって)あらかじめ行っておくことで、情報収集と分析にかかる時間を短縮=判断時間を短縮する。もし結果的に間違っていれば判断までのプロセスに修正が加わり、どんどん洗練されていくのも固定観念と大きく異なる所だ。

余談:脊髄反射と直観は似てるけど違う

脊髄反射は情報の入力と行動が直結した状態のこと。判断が介在しない。
一方、直観は情報の入力と判断が直結に近い状態のこと。行動までが直結に近い状態になる場合もある。(その典型的な例はスポーツ選手だな。)高度に発達した直観は脊髄反射と見分けがつかない。

結論

固定観念、だめじゃん。自然なこととか言ってる場合じゃ全然ない。

固定観念が増える原因を考えてみる

慣れること、未知の物事や予想外の結果に出会う機会が減ること。すると考える必要がなくなる⇒決め付けが発生する⇒それがうまくはまるとさらに決め付けが強化される⇒固定観念はどんどん増える。

要するに『発見の無い生活をしてると固定観念はどんどん強烈になってしまう』と予想する。

じゃあどうすればよいか

  1. 未知の領域に踏み込み、体験を増やす
  2. 嫌いなものを好きになる*1
  3. 楽な方向に流れないようにする*2

あと日記をつけるという行為も、同じことの繰り返しになりがちな日常を脱する手がかりになるかもしれない。というわけで、できるだけ毎日書いてみようと思う。

*1:嫌いなものとは既知のもので、かつなかなか情報を取り込めない状態。それをどんどん情報を取り込める状態に変える

*2:楽な方ってのは大体考えなくても大丈夫な方向なので