どうして反応が欲しいのか?

先日ふと思い立って、増田にひとつ文章を書いてみまして。で、しばらく経ってからチェックしてみたけど、コメントもエントリもついてなかったんですわ。

予想してたのに悲しかった

自意識過剰であるというのは認めるとして、特にレスポンスを期待するような文章ではなかったにも関わらず、ネットワークに対して投げ込んだ石が、波紋のひとつも呼び起こさなかったという事実は悲しかった。自分でも驚くほど悲しかった。

どうして反応が欲しいのか?

他者からの反応が得られるということは、自分の行動が他者の認識世界の中に共感なり反発なり、なんらかの波風を起こしたということであり、それは、

  • 自分がひとりではなく、他者に認識され得る存在であることの発見
  • 他者と分かり合えるかもしれないという可能性の発見
  • 自分の認識世界にはない他者の視点や思考の発見

などに繋がってるように思う。私の場合。

また、完全にひとつにはなれない人間同士だからこそ、他者とひとつになる(たとえ錯覚だとしても、ひとつになったかもしれない可能性を感じる)ことが楽しかったり嬉しかったりするのだろう。
この手の衝動が各種学問や宗教的にどうなのかは不勉強ゆえ分からない。

そこから得られる結論めいたもの

行動に対して反応を得られやすいコミュニティやネットワークは急速に成長していく。逆に反応が得られにくいコミュニティは急速に衰退していくのだと思う。