生物学的には男は女から選択される存在でしかないんですが
やっぱ恋愛とか結婚の局面において男性が女性を選ぶ、ってのがまあ封建的というか家長制度的というかある意味で高度経済成長的な典型的日本のライフスタイルだった気がするんだけど、それがどっかで逆転、とまでは言わないけど、女性が男性をセレクトするってことも普通にありうるようになったんだよね。それはいつごろなんだろう? やっぱバブル?
男が選択される側に立ったのはいつ頃?って、「原始の頃からずっとそう」だったのでは?
シンプルな説明を試みる
メスが子供を産む⇒ということは⇒メスがオスを選ぶ⇒ということは⇒オスはメスに選ばれる必要がある(メスに拒否されたオスの遺伝子は後世に残らない、メスを強制しない限り)
生物学的には哺乳類の基本はメス
哺乳類の場合、胎生七週の時点でオスになるかどうかが決まる。その時点で何も起こらなければメスになる。乱暴な言い方をすれば「放っときゃメスになる(By 養老孟司氏)」のだ。ついでに、精巣を取ってしまうと男の体は女性化するが、卵巣を取っても女性の体が男性化することは無いと聞く。
オスがメスを選択する世界とは
メスが「オスが居ないと生きていけない!」と叫ぶ社会や文化を作ることで、ようやくオスがメスを選択できるようになる。それに成功した地域や時代もたくさんあると思う。
で、バブルの頃の日本は「オスが居ないと生きていけないけど、どのオスを選んでもまあ生きていける」という状況だったと仮定すれば、すべてのオスがそこそこ平等にメスを選ぶことができた時代なのかもしれない。それはとても貴重で異常な均衡を保った時代の話だと思う。
なぜなら「オスが居ないと生きていけない!」という状況では
- 生きる力が強いオスであればあるほどメスが寄ってくる
- その社会の中で価値の高いオスにメスが寄ってくる
という、恋愛ロングテールが成立するからだ。ヘッドに位置するオスには、常にメスを選ぶ権利が与えられているが、テールに埋もれたオスにメスを選ぶ権利など在りはしないのだ。だから「すべてのオスがメスを選ぶ権利を持っていたと感じる時代」はレア。オスの需要過多、ハーレムである。
恋愛ロングテールで考える非モテ改革
非モテを叫ぶけど「たくさんの異性からモテたい」という人は、
- 自分がヘッドに含まれるように社会の価値観を書き換えるか
- 自分がヘッドに含まれるように自分自身を変えていくか
のどちらかしか取るべき道は無いのだ。
非モテを叫ぶけど「別にたくさんの異性からモテたいわけじゃないし、自分を変えるなんてできないよ」という人は、もっとどんどん情報発信をすればいい。文章を書け!写真をUPしろ!動画を公開だ!Webサービスを作れ!Plagger開発に参加しろ!いずれGoogle様のマッチング力だとか、はてブ or del.icio.usなどの2.0風何かによってテール(酷い表現だ)にもチャンスは巡ってくる!…かもしれない。
ちなみに
私はオスで、嫁も彼女もおりません。現代のメスの選択圏外であります。がんばらなねー
オス、メスに関しておすすめの本
ア、アサマシリンクじゃないんだからねっ!
- 作者: 養老孟司,阿川佐和子
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2006/06/15
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