所有の喜びが失われた後には何が来るか?

モノを持つ喜びを忘れ、理念を忘れ、成長力は衰え、まだ、どこに進むのかさえ決めていない。

所有の喜びが失われた後、一体どこに進むのかを考えてみる。

一時代の終わりの始まり

ちょっと前までは、どんな車を持っているか、どんなマンションを持っているか、どれだけ金を持っているか、などの「have」が重視されていた。端的に表現すれば

  • 「have」があればモテた(まぁ今でも金持ちはモテるけどよー)

だが、所有する喜びが薄れてきた現代に至ってようやく

  • 実際の自分の価値は「have」には無い

ということに気がついた人達が増えている。

所有「物」に価値がなくなったのではなく「所有」に価値がなくなった

所有物は他人に移る。移ると同時に自分の「have」に対して認められていた価値も他人に移る。それは自分の価値ではなく所有物の価値である。「物」には厳然として価値はある。価値がなくなったのは「所有」である。

「have」に変わる価値は何か?

もちろん「be」だと考える。「自分が『何』であるか」そのものが価値として問われる時代が、ようやく始まったのではないかと。(確かそんなことを書いた本もあったと思う。タイトル失念)

「be」の時代が始まったとする根拠は?

「have」ではなく「be」の時代が始まったのだと仮定すれば、最近始まった、既存の価値観では到底理解不可能な数々の出来事(オープンソース活動とか、情報の隠蔽でなく公開&共有とか、実際に会ったこともない人を信頼する力とか、blogで情報を発信し続ける意味とか)も、すんなり理解できるのではないかと思う。これが根拠だ。

結論

今こそ分かれ目。「have」から「be」へ、時代は移る。

# 「be」の世の中で価値を得る術はまたいずれ。(んなもんブログとか読んだり書いたりするような人は知ってる話だしな。)